1月18日 「最終回」ありがとうございました。 |
「最終回」
ホントに最終回ってイヤな響きだと思う。
自分でタイトル決めてなんだけど、最終回って絶対泣くし、泣かそうとしてるからもうヤダなぁ。
大体どんなジャンルの作品でも最後にクライマックスをもってくる事が多いからだろうけど、最終回にとても弱い。泣いちゃう。作品に愛着があればあるほど。
泣いた作品なんて挙げるとキリがないけど、漫画だと特に「うる星やつら」「おやすみプンプン」ドラマだと「伝説の教師」「ゴーイングマイホーム」バラエティだと「松紳」「ザ・狩人」ラジオだと「放送室」等々。ほとんどこれは泣くだろっていう内容だけど、バラエティ系は違うか、でもどれも最終回が来ると泣いてた。終わるのが寂しくて。
最終回がイヤで、その手前で観るのを止める、という奇行をした事もあった。でも結局気になって観てしまうんだけど。そして泣いてしまうんだけども。
去年パンクバンド「ミドリ」の元ボーカル、後藤まりこさんの引退ライブを観に行った時なんか、彼女が舞台に出てきただけで涙腺が緩んだ。憧れの人を初めて生で観れたという感動もあったんだろうけど、もう最終回なんだという思いが強くて、気付いたら当たり前のように泣いてた。
できるなら最終回なんて来ないで、一生続いてほしい、ってなんにでも思う。そんなことを考える笑坊も最終回を迎えました。
どれだけ素晴らしいモノと並べてんだと、大変申し訳ない気持ちもありますが、どんなものにも最終回ってあるもんなんですね。
師匠に弟子入り志願し、前座にして頂いて一年半過ごした。最終回らしく、僕が師匠に弟子入りしたきっかけから、誰かだけに言った事や誰にも言っていなかった事を記します。
大阪で芸人活動をしていた25歳の僕は、コンビ解散を機に自分の武器の無さを悩み学生時代から好きだった志ん朝師匠の落語を改めて聴いて、これだと思い、江戸落語をもっと学びたくて東京に移り住んだ。
師匠を初めて生で観たのは、僕が東京に引っ越した月の2015年3月の談笑一門会。映像や音源で以前から観聴きしていたので生で聴きたいなと思って行ったら衝撃だった。
師匠の演目は巌流島でそれはもう狂気でめちゃくちゃ笑った。
もっと聴きたいと思い、その翌月に国立演芸場での独演会に行った。その日のトリネタは芝浜だった。もう決まりだった。
独演会終わりに師匠がお客さんをお見送りしていた。今となっては師匠がお見送りする事に何も驚かないけど、その当時は、うわぁ師匠いはるやん、めちゃめちゃ笑てはるやんとビックリした。その日は色々と怖くなって、あえて師匠から遠くを歩き、気配を消しながら足早に帰った。
勉強のために立川流の寄席や他の師匠方の独演会に足を運びながら、師匠への弟子入りを念頭に行動し始めた。弟子入りする前に、ある程度の貯金がないとやっていけないと思い、派遣のバイトをしながら、どうやって弟子入りしようかを考えた。
4月の談笑一門会に足を運んだ時、マクラで師匠が以前変な弟子入り志願者がいたという話をしだした。驚き身構え、一言一言聞き漏らさないように、でもあまり目立たないように注意深く聞いた。しかし話が面白いくて、どこまで本当なのかなと思い、それ程参考にはならなかった。
一応それを踏まえて、リサーチをした結果、一番迷惑のかからない方法で師匠にコンタクトを取るべきだと思い、談笑事務所に電話することにした。
5月8日、僕が26歳になって一週間が経った日に電話をした。我ながら中途半端な。
緊張しながら、数秒で電話が繋がり、事務所の方が出た。弟子入り志願を伝えるとメールで履歴書を送って欲しいとの事で、すぐ送らせて頂きますと返事した。
とはいうものの、てっきり郵送か手渡しだと思っており、パソコンでは作成してなかったので、めちゃくちゃ急いで完成させてその日の内に、メールを送信した。
それから一日一日と時は過ぎ、何の音沙汰もなく十日が経った。終わったと思った。
履歴書の内容が悪かった、もっといえば電話での受け答えがダメだったのだと思った。
しかし、どうしてもあきらめきれず、もう一度電話した。するとまた事務所の方が出て、
「先日お電話させて頂いた、入門志願の者なのですが」
「ああこの前の、履歴書はまだですか?」
なんだって!?十日前に送った旨を伝えると、届いてないという。今送ってみてくれる?とのことですぐ送信してみると、
「届かないねメールの相性が悪いみたい」初めて聞いたなメールの相性って。では仕方ないので、数日後に師匠が出演する落語会があるからその会場に直接もって来て下さいと言われた。
ひとまず、まだ望みがある事に安心した。
十日以上前から用意していた履歴書に加え、どうにか思いを伝えたい一心で、手紙をしたためた。こどもの頃から、字がどえらい下手だったので、何枚も書き直し、なんとか自分のベストを尽くした。
5月22日、指定された落語会、下丸子らくご倶楽部終わりに会場から出てくる師匠を待っていると、師匠と当時前座だった笑笑兄さんがでてきた。
師匠に近づこうとすると、まだ残っていらしたお客さんが師匠に話しかけ始めた。まぁこういうこともあるかと、静かにその様子を見ていると、師匠と完全に目が合った。でもお客さんとの話は終わらないので、僕にとって気まず過ぎる時間が流れに流れた。
やっと話が終わり、師匠は僕を手招きし、手のひらを返したので、僕はお願い致しますと履歴書をお渡しすると、師匠と兄さんは会場を後にした。
数日後に電話があり、面接をして下さることになった。面接場所は新宿の椿屋珈琲店で、もちろん時間に遅れないよう早めに到着し、店の入り口の前で待っていた。
集合時間になっても師匠が現れず、どうしたものかと不安になったけど、まぁ待っていようと思っていると、しばらくして店内から師匠が出てきた。えっ中、確認したはずだったけどいらしたのかと、大変な失敗をしたと思った。終わったと思った。
しかし、師匠はあまり気にした様子もなく席に着き、面接をしてくださった。
師匠の面接は僕の話を聞くというより、師匠が落語界、立川流の現状、噺家の生活について話してくださるというものだった。最後に人生の先輩として、この職業に固執せず、向いてないと思ったら辞める勇気を持つことも必要だともおっしゃった。そこで笑笑ももうすぐ辞めるんだよと師匠の口から聞いた。
見習いになる前にインターンとして、師匠の会や立川流の落語会を見学し、内情を知って、それでも入りたいと思うかどうか判断するようにと師匠は言った。その後、師匠が最後に何か質問があるかいと僕に聞いた。
そこで何か質問しなきゃいけないんじゃないかという気持ちでとっさに、師匠は舞台袖から高座上がられる前に勢いよく飛び出してくるように出て来られますが、あれはわざとやっておられるのですかと聞いた。
今思えば、特にありません、でいいだろと思うし、それになんだその質問は、と思うけど、その時の僕はそう聞いてしまった。師匠は、ううん特に意識しているわけじゃないよと優しく答えてくださり、面接は終了した。
お店の会計を済ませた師匠を見送ろうとすると、いいよココにいるならいてくれていいからとおっしゃってくださり、お礼を言うと、僕が入ってきた入り口とは逆の方向に、師匠は出て行った。そこで初めて、この店に出入り口が二つあることに気が付いた。やってしまってんなと思った。
それから一ヶ月は笑笑兄さんも落語会の仕事が残っているという事で、その間、僕はいろんな楽屋を兄さんに案内してもらった。楽屋見学以外の時間は、兄さんに落語はどんどん覚えていったらいいんじゃないと言われていたので、立川流の前座が最初に覚える噺の道灌を家元の映像で覚える時間に当てた。
6月末の談笑一門会終わりの楽屋で師匠からどうする?と問われ、ぜひお願いしますと、見習いになるお許しを得た。その後、一門会終わりの打ち上げにも参加させていただいた。
打ち上げ会場で、この一ヶ月挨拶しかした事がなかった吉笑兄さんから始めて声をかけられ、笑笑の邪魔しないように見ててと言われ、言われるままに勉強させて頂いた。
あとそうだ、最初の一杯目でビールの人と聞かれ、見習いのくせに手を上げてビールを貰ってしまった、そんなに飲めもしないのに。加えて乾杯時にその場にいた全員にグラスを当てにまわった。途中変な空気になったのに気付いたけど引くに引けず、これはアホの振りして全員回りきるしかないと思った。案の定、打ち上げ終わりに吉笑兄さんと笑二兄さんから、ああいうのいらないからと別々に注意されたな。
打ち上げも終わり師匠を見送った後、兄さん方三人が何の会話もなく電車に乗り、高円寺駅で降りるので、後をついていった。
少し歩いて行ったのが写真バー白黒だった。
店の少し前で吉笑兄さんがよかったら君もと言った。内心じゃあまたって言われたらどうしようと思っていたので、全力でありがとうございますと言った。
中に入るとテーブル席に4、5人先客がいた。その方達と兄さん達が気さくにしゃべりかけているのとその内容を聞いて、笑笑兄さんの送別会をする事がわかった。
今思えばそれは談吉兄、らく人兄、寸志兄、志ら鈴姉、うおるたー兄で、たしか後から幸之進兄さんが合流した。そこで今日から談笑一門の見習いになった藤井ですと皆さんに挨拶させて頂いた。
笑笑兄さんの今後や、今までの思い出などを中心にいろんな話を聞かせて頂いた。僕はこの一ヶ月楽屋見学をしていただけで吉笑さん達を高座でしか見たことがなかったので、実際の皆さんの人柄や関係性が少しずつわかっていくのがとても面白かった。
とくに驚いたのは、この一ヶ月唯一お世話になった笑笑兄が上の兄さん方にめちゃくちゃイジられているのを見たこと。見学終わりにご飯に連れていって下さって、注意点や動き方などをきちんと教えてくださったので、本当にしっかりしている方だと思っていた。なのにそれが今、目の前でイジられている人と同一人物なのかと思うと、複雑な気持ちになった。
あとどんな流れでそうなったか正確には忘れちゃったけど、吉笑兄さんが酔って、ここに一人、立川流じゃねえ奴がいるな、ちゃんと面白いことやってるのかと、幸之進兄さんにからみだした。なんだよ急にと幸之進兄さんがトイレに入った時、吉笑兄さんが大きな声でさぞかし面白い格好で出てきてくれるんでしょうねと無茶振りをしだした。
めちゃくちゃだなと思ったけど、それからしばらくして、幸之進兄さんは裸で股間に靴下を履いて出てきた。笑二兄さんが私がお世話になってる店で何やってんですかと幸之進兄さんを注意した。
吉笑兄さんも全く納得せず、全然だな笑二はそんなもんじゃないと次に笑二兄さんに無茶振りしだした。
次俺?とめちゃくちゃ嫌がりながらも兄弟子に振られたからには断る事はできないと、笑二兄さんはトイレに入って、すぐに困った顔をしながらないないパターンないと裸で出てきた。
吉笑兄さんはまだまだ納得せず、じゃあと僕を指名してきた。この後はめちゃめちゃ辛いなと思いながらも断る事はできないので、トイレに入り、いったん落ち着こうと用を足した。手を洗っている時にコレでいこうと、着ていたTシャツを脱いで水でビチャビチャにして、それをもう一度着て、ちょっと、トイレ壊れてますよと言いながら出て行った。
これでは吉笑兄さんはそんなに喜ばないかなと、恐る恐る見てみると、吉笑兄さんは親指を立ててくれていた。怒ってはないなとホッとした。
これ以上いると何が起こるかわからないので吉笑兄さんを止めようと、笑二兄さんが時間も時間だし、お店に迷惑かからないようもう帰ろうと言ったがあまり効果はなく、もうしばらくしてから店を出ることになった。
寸志兄さんが店を出る時、これで吉笑兄さんのせいで風邪引いたって言うんだよと優しくアドバイスしてくれたのをよく覚えている。
その後、吉笑兄さんの家に行くことになった。家では今日一日での僕の気遣いが足りない点を指摘していただき、凄く勉強になった。
時間が経つにつれ、少しずつ人数も減り、日が昇ってきた。もうそろそろ解散の雰囲気になってきた頃、笑笑兄さんが、今日いいレースがあるんですよ。と急にその日の午後にある宝塚記念の話をしだした。
絶対いけますからといって言葉巧みに吉笑兄から3万、笑二兄から2万、合計5万円受け取って絶対増やして返しますからと笑笑兄が帰ろうとするので僕も一緒に帰った。兄さんはこれから馬券を買いに行くというので面白そうだから、連れて行ってもらうことにした。
馬券を買う前に兄さんが隣の券売機で馬券を買おうとしているおじさんに向かってどうですかねと聞くと、ラブリーデイかなと答えてくれた。しかし笑笑兄さんは本当ですか?と笑って、兄さん達から募った5万と自腹の4万を全て、その日の一番人気だったゴールドシップの馬券につぎ込んだ。
家に帰って少し寝て起きると、ちょうど宝塚記念の中継をやっている頃だと思ってテレビをつけた。
おっ、このレースだと思って見ると、レース直前からゴールドシップが荒れ、ゲートに入るのを拒んで、どうにか落ち着かせるために黒い覆面を被らされていた。
うわぁえらいこっちゃなと思っていると、レースが始まった。するとゴールドシップの立ち上がろうとする姿。めっちゃ笑った。
結局ゴールドシップは15着で、ラブリーデイが1着だった。コレを見て送別会での光景に納得がいった。
↓数時間後JRAの持ち物になる合計9万円。
笑笑兄さんの送別会の数日後、吉笑兄さんが具体的な前座としての働き方を教えてくださるという事で高円寺にて会うことになった。
僕はこどもの頃からお笑いが大好きで、親戚のお兄ちゃんの影響もあって特にダウンタウンさんにとても憧れた。中学時代から彼らが出るテレビはほとんどビデオに録画して今も実家に保管してある。学生時代はほぼ毎日何度も何度も番組ごとに古いのから最新まで何周も同じものを繰り返し見ていた。ガキの使いなんて何周したかわからないぐらい観た。
吉笑兄さんが、彼らの番組でよく構成をしていた作家の倉本さんにお世話になっていたことは知っていた。だから僕にとってお会いする前から兄さんは尊敬する人の一人だった。
談笑一門会で初めて観た兄さんの高座は「先の輩」。やっぱすげぇやと思った。というか僕は普通に笑ってた。
だから兄さんと喋るのはいつも緊張した。
入門当初、自分から話しかけて、いろんな話を聞こうとした。でも僕の話が興味のない話題だと、そうなんだの一言で終わることがよくあった。そうなるともう何を話していいかわからなくなり、永遠と思えるような沈黙がよく流れた。
吉笑兄さんから15時に高円寺に集合でというメールを受け取り、予定時間十分前に駅に着いた。少し待って、もう一回メールを確認する。よくよく考えてみれば、高円寺に集合って駅でいいのかな。その時もう14時55分、知らないだけで、もしかして高円寺といえばここしかないという場所があるのでは、と考えが生まれ、ヤバイ兄さんを待たせることになると焦り、すぐにネットを調べようと思った。その時には14時57分、これはやべえぞ、どうする。どうする。これは待たせるより聞いた方がいいと思い、兄さんに「高円寺駅に着いたのですが、どちらに向かえばよろしいでしょうか」とメールを打つ。すると集合時間ピッタリに兄さんが駅に到着。指をさしながら行こうかと近くの喫茶店へ。
席に着くなり、兄さんは開口一番、
「高円寺って言ったら高円寺で待ってればいいから、14時58分にメールしてるけど、相手が談志師匠でもこういうことするの?」
全くその通りで、ぐうの音も出なかった。
しかし、その後は前座としての心構えについて兄さんは、丁寧に優しく教えてくれた。一時が万事、全てつながっている。普段から細かいことを気遣う事ができなければ、いざという時も当然できないということを兄さんは言ってくれていた。
一通り講義が終わると、兄さんはこの後、時間あったら飯でもと誘ってくれた。そして悪いけどやっておきたい作業があるから、ちょっと場所を移動しようかと言った。
近くの別の喫茶店へ、席に着いて向かい合って座ると、イヤホン持ってる?と聞かれ、これさっき言った太鼓の音源とか入っているから聞いて、と兄さんはiPODを貸してくれて、パソコンで作業を始めた。僕は言われるまま、わからないなりにドンドコを聴いた。
数分すると吉笑兄さんが僕の後ろに向かって手を振った。振り返ると笑二兄さんがいた。慌ててイヤホンを外して挨拶をすると、吉笑兄さんが早いなと笑った。こんなに早いなら別に移動しなくてよかったなと僕に笑いかけた。こっちは笑二兄さんが来るのを知らなかったんですが…という気持ちが半分でながらも、そうですねと僕も笑った。
吉笑兄さんに連れられて、三人でビアカフェ萬感に行った。
萬感といえば兄さんに初めて連れて行ってもらった居酒屋なのだが、どちらかというと兄さん達よりも、こはる姉さんを思い出す。入門して半年ぐらい経って、笑二兄さんに借りた出囃子のCDを返すために、萬感であったこはる姉さんと笑二兄さんの落語会に行った。CDを返したら邪魔にならないようにすぐに帰ろうと思っていたけど、勉強していきなよと言っていただいたので勉強させてもらった。
居酒屋での会ということで見学場所は厨房のちょっとしたスペースで姉さんたちの控え場所でもあった。こはる姉さんとはそれまで立川流の一門会で挨拶するぐらいで、そんなに話した事がなく、どちらかというと姉さんはとてもキッチリしているから、ずぼらな僕は一方的に怖くてあまり話せなかった。邪魔にならないようにというのも一理あるが本音は、こはる姉さんと話すのが怖いからさっさと帰ろうとしていた。
会の合間に笑二兄さんを介して姉さんと初めてちゃんと話した。姉さんは僕に仕事忙しいでしょと聞いた。全然暇だったのそう言うと本当?じゃあ仕事頼めると姉さんは言ってくれた。師匠の会と寄席以外の半月ぐらい暇だったので急に姉さんに仕事の話が来てもほぼ入れたので、それからよく仕事のお手伝いをさせて頂くことになった。
仕事するにつれて、姉さんは全然怖くない事がわかっていき、僕が適当だから、細かいことをよく注意されながらも、失礼ながらも自分から気さく話させて頂いた。いつの間にか寄席に姉さんが入る日、前座仕事が入ると嬉しくなり、10年も先輩だけど、僕は勝手に本当のお姉ちゃんのように慕った。
しかし、今年の立川流新年会で去年から恒例になった前座バトルでの事。僕他4人の前座が出場したのは立川流出囃子イントロクイズだった。ランダムで師匠や兄さん方の出囃子を流して、それが誰の出囃子か当てるクイズで、そこで姉さんの出囃子が流れた。いつもだったらわかるのに舞台上で頭が真っ白になり、全く違う師匠の名前を答えてしまった。
コーナー終わりに、姉さんに廊下で会った時、君どれだけ仕事頼んだと思ってんの?と言われ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。姉ちゃんホントごめん。ってコレは怒られるわ。
萬感は兄さん方に連れて行っていただくと何故か姉さんが先にいたり、後から姉さんが合流するというようなことがよくあった。ということもあって僕にとって萬感といえば姉さんなのだ。と話をむりやり萬感に戻す。
僕はお酒が弱いけど居酒屋に入ったら一杯目だけはビールを頼むことをしている。一杯だけは美味しく感じる時があるから。でも二杯目からは徐々に頭の痛さに勝てなくなってくるから飲まないようにしている。
しかし、その日は初めて僕のために集まってくれた兄さん方の手前、どうしようか悩んだ。今となっては兄さん方がソフトドリンクだからといって怒ったりしないし、後輩がお酒を飲むのを、いいねと喜んだりしない。本心で好きなの飲んでいいよと言ってくれる人達だってわかっているけど、その日は二杯目もビールを頼んでしまった。
明らかに飲むペースが失速し、それに気付かれてきた頃、笑笑兄さんがやってきた。吉笑兄さんが笑笑兄さんに冗談で、もうちょっとで飲み終わるから待っててと言った。はいわかりましたと、店外に出て行く笑笑兄さん。
笑笑兄さんが完全に外に出るのを確認してから、変な奴だと吉笑兄さんは言った。冗談だし待つにしても座って待っていたらいいだろという事なんだろうけど、待っててと言われたら僕も同じ事をしただろなと思った。
笑笑も来たし移動しようかと吉笑兄さんが言う。無理しなくてもいいと言われながらもなにか飲み残す事ができず、グラスに半分ぐらい残っていたビールを一気に飲み干した。
丸金酒場に移動して、もうお酒は一滴もいらなかったけど、兄さん方と一緒にまたビールを頼んでしまった。
吉笑兄さんがこの店で兄さん方が絶対頼むという料理があると話し出した。そこで、それを聞かずに僕が注文をすることになった。これは当てなきゃいけないなと思い一生懸命考えた。笑笑兄さんがご飯に連れていってくれた時に兄さん達の好みを聞いたけど、無理してお酒を飲んだせいもあって、なんだったかちゃんと思い出せない。時間をかけるのもよくないので、メニューを見てそれっポイ料理を注文するしかないと思い店員さんを呼んだ。
兄さん達に聞かれないようにメニューを指差しながら、まず吉笑兄さんがチーズ好きというのを思い出し、おじゃがチーズを頼み、今日の二件目であるということもあり、あっさりした刺身も一つ頼もう。あと一つ師匠がイカが好きだという情報を兄さんが言っていた事をギリギリで思い出し、弟子も影響を受けて好きかもしれないと思い、イカの一夜干しを頼んだ。
お願いしますと店員さんに言ってすぐに笑二兄さんに何品頼んだ?と聞かれ、何故かテンパって4品と間違えて申告してしまった。すぐにあっ間違えた、三品しか来ないと思い、悟られないように一品追加注文するためにメニューを見ながら考える。早くしなきゃいけないのに、考えがまとまらず、もうこれはわからん、ただ自分が食べたいモノを注文しようと、お手洗いに行く振りをして、こそっと注文したのがカニクリームコロッケ。
これがわからないようだったらこの先が思いやられると吉笑兄さんに無茶なことを言われ、やだなぁと思いながらも、まぁ多分大丈夫ですよと見栄を張った。
まず来たのは、刺身の盛り合わせ。全然これじゃないよという兄さん方の反応。しんみりした空気の中、静かに次の料理を待つ。
次に来たのがイカの一夜干し、イカね。師匠は好きだけどねイカという笑二兄さん。
三品目はおじゃがチーズが登場。いや、チーズは好きだけどコレじゃないんだよ。もう好きなんだったらとコレでいいでしょと思ったけど違う事にがっかりした。
しばらくしてきたのが最後やけくそで注文した、カニクリームコロッケ。それがテーブルにつくやいなや、
「おーこれ!なんでわかった?」
と兄さん達が驚く。
自分が食べたかっただけで、一番正解から遠いと感じていたのに、それが正解だと聞き兄さん方以上に僕が驚いた。けどそれを悟られないようにまぁまぁと変な小芝居をしたけど何の影響もなく、兄さん達はすげぇなといい、何故か三人と順番に握手した。
7月に入り、見習いとして本格的に楽屋仕事を覚えるために、今度は笑二兄さんが主に立川流の寄席を案内してくれた。
笑二兄さんはとても可愛い。兄弟子に対して大変失礼だが本当に思うから仕方ない。僕が初めて見た兄さんの高座は蜘蛛駕籠だった。若いのに説得力があり、上手さだけでなく兄さんらしさもあって面白かった。入門してからそれが稽古時間、努力の賜物であるということを知りさらに尊敬の念が増した。
ストイックの化け物みたいな兄さんが何故可愛いかというとその風貌もそうだが、一番感じるのは兄さんの独演会での打ち上げ。
普段からそんなに口数は多い方じゃないけど、独演会終わりはしんどさもあいまってより静かになり、話題もそんな難しいことはしゃべらない。だいたい漫画、テレビ、映画の話になる。特に多い話題は好きな食べ物の話。
兄さんの独演会は主に僕と笑んが手伝い、三人でいるとよくその話題になった。とくに笑んの好きな食べ物がから揚げという事もあり、答えにインパクトがないので兄さんも以前に聞いたのを忘れる。
笑んがこれ美味しいですねというと、兄さんは決まって笑んは食べ物何が好きなのと聞く。で答えを聞いて、あ何か前にも聞いたな。というのを、僕は4、5回聞いた。
おじいちゃんの家に久々に遊びにくと、大きくなったなぁとおじいちゃんはよく驚いた。
何時間かテレビを見たりして一緒に過ごして、何かの用事で立ち上がると、大きくなったなぁと絶対言った。
これに似てる。それに気付いた時、最初は面白かったけど、何度も繰り返されるたびに、それが不憫になって、笑んが美味しいですねと言った時は、兄さんの食べ物何が好き?という質問の前に全然別の話題を話すようにした。笑二兄さんはおじいちゃん的な可愛さを持っている。
ということを書いても全然許してくれそうなやさしい雰囲気を持っているのも笑二兄さんの魅力でもある。とフォローをつけたしておこう。
8月5日、師匠が初めて稽古をつけてくださることになった。場所は師匠の自宅。場所を知らない僕にわざわざ笑二兄さんが場所を教えるためだけに自転車で来てくれた。
お宅に上がり、お茶を頂いた後、師匠からお辞儀などの簡単な所作を教わった。師匠は僕に道灌を知っているかどうか尋ね、はい、覚えてきましたというと、ホント?じゃあやってみてと言われ、早速師匠の前でやることになった。
最初、緊張の余り声が小さく、もっと大きい声でと言われ、何度かやり直した。途中つっかえながらも何とか、最後までやりきることが出来た。発音でおかしい部分を指摘して頂き、次に師匠が道灌を演じてくださった。本当に目の前で師匠が演じるのを見るのは勉強になる事だらけだった。
稽古したらなんとなるかと、その場で月末の一門会での初高座のお許しを得た。そうなると名前を決めなくてはと、その場で師匠が僕の名前を考え始めた。しばらく考えてメモ用紙に書いてくださった名前が「立川笑三郎」。
僕は師匠がつけてくれた名前なら何でもよかった。名前を頂けた事がただただ嬉しく、そのメモ用紙を大事にカバンにしまい、挨拶をして、師匠の自宅を出た。
来た道を戻る、ただの帰り道なのに、何か周りの見え方も変わって見えて、歩く所、歩く所何もかもが新鮮に思えた。歩くだけで楽しく、どこにも寄り道する気も起きず、真っ直ぐ自宅に戻った。ちょうどその頃に携帯に着信があり、出てみると師匠からだった。
話を聞くと笑三郎という名前はよくよく考えたらおじいちゃんみたいだからちょっと保留にしようという内容だった。がっかりした気持ちもちょっとあったけど、それよりも僕のために真剣に名前を考えてくださっているんだと感じ、それがありがたかった。
翌日メールで「笑坊」という名前を改めて頂戴した。大事にしていた立川笑三郎と書かれた紙のやり場に困ったけど、やっぱり名前が頂けて嬉しかった。
入門当初、尊敬する師匠の下で落語が出来る有難さで、緊張はありつつも、高座に上がるのが楽しかった。
僕が師匠の噺で一番好きなのは、天災だ。
こどもの頃から人が感情を爆発させる様子、喜怒哀楽驚怖なんでもいいけどそれに驚きとバカバカしさが加わった時、僕は腹を抱えて笑う。
師匠の天災の場合、噺の中で紅羅坊名丸がはっつぁんにどれだけボコボコにされてもめげずに教えを説こうとする様はどんな感情かわからないけど凄い執念でそれが狂気じみている所に驚きとバカバカしさが入っているから大好きだ。
独演会などで天災を師匠がかけたのがわかると、他の仕事をさっさと終わらせてそのシーンだけでも絶対に舞台袖で見て、声を出さないように笑った。
その光景を笑んによく見られた気がする。聞いたことはないけど笑いすぎだろって多分引いてたんじゃないかな。
笑んは2、3ヶ月しか入門が変わらないけど、年齢が5つも離れてるからか、こんな適当な先輩でも立ててくれた。ありがとう。もちろん辞める人間が、偉そうに頑張ってなんて口が裂けてもいえない。ほとんど反面教師にしかならなかったけど、僕はいろんなものの楽しみ方は人一倍だったと思うので、それだけを見習ってほしい。もっといろんなことを楽しめるようになれたらいいね。
僕は自分で稽古する時、初めて見た師匠の巌流島や、後に見た天災の狂気性のような感情の爆発をどの噺にも入れようとした。
そうやって1年続けてきた。でもある時、自分が好きな狂気的な笑いなんてそんなものはお客さんは求めてないし、第一その面白さを伝える能力が全然自分にないことに気付いた。人柄だとか、器その人が元々持っているものが完全に足りないと感じた。
自分が好きなものを諦めなきゃいけないと思った途端、落語を楽しむことが出来なくなった。それをどうにかまた楽しむための方法を探そうとした。ある時、気持ちを入れ替えるために一回地元の言葉で、上方落語をやってみようと思った。
僕のなまりを聞いて言葉どうするのと談吉兄さんに昔言われたことがあった。だから、兄さんに上方落語をやろうと思うんですと相談した。ありがたいことに兄さんは背中を押してくれた。
2016年の12月の談笑一門会で、時うどんをかけて、終わった後に落語に対する思いが再燃して、楽しむ気持ちが復活したら上方落語で続けようと思った。
談笑一門会終わり、打ち上げも終え、自宅に帰った。布団に入って少し眠って起きた。それから自分に新しく噺を覚える気力がないことがわかって、泣きそうになった。
ああこれ以上努力できないんだ、そんな奴は向いてないし、辞めなきゃいけないと思った。
師匠に報告しなきゃと現実的なことを考え始めたら、今までの生活がもう全部無くなるんだという気持ちがこみ上げてきて、急に寂しくなって涙が出てきた。
正直しんどいことなんてほとんど何にもなかった。立川流の中で生活できた事はただただ楽しかった。その生活を終わりにさせなきゃいけないことが辛かった、最終回は嫌いだっていうのにもう。
今までお世話になった皆様、本当に本当にありがとうございました。
応援してくださった皆様に対しては、裏切る形になってしまい申し訳ございません。
しかし、自分のわがままで続ける事の方が周りの迷惑になると思い、辞めることに決めました。
僕はどこに行こうが好きなことしかしないのでおそらく笑っています。時々泣くけど。
みなさんが元気で笑っていられますように。
藤井昌志